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2011年8月

2011年8月30日 (火)

TAMC 会長坂本圭史先生をお迎えして (合宿セミナー)  その1

 8月27日~28日の両日、一泊二日の予定でTMC(東京アマチュアマジッシャンズクラブ)会長坂本圭史先生をお迎えし知多半島のビラ・マリーンホテルに於いて、名古屋華マジカルグループ主催の第2回合宿セミナーが開催されました。

 半島の突端の山の上に小高くそびえる建物は、その名のように大きな豪華客船を思わせるような外観のホテルでした。60才以上は大変格安に宿泊できる福祉的な意味合いの宿泊施設でもあります。

 客室からの眼前の風景は、きらめく広い海原に浮かぶ篠島、日間賀島、竹島を望み、夜は潮騒を聞きながらの寝入りは誠に贅沢な気分で、眠るのも惜しいくらいでした。

 当グループの講師である鈴木先生の所蔵するマジック拡大機(考案者はマジック研究家坂本種芳師で講演者はご子息))が取り持つ御縁のお礼にと、名古屋華グループに講演をして下さるお申し出をいただきました。

 今回の合宿セミナーは当グループだけの単独の計画でしたが、著名なゲストをお迎えするには会員だけではもったいないとの発想から、友人知人にもご紹介をし外部参加者や宿泊客も含めての会議室は受講者で溢れていた。

 坂本圭史先生におかれましては、日本のベスト講演者として上位にその名を連ねておられます。マジックを取り入れた経済論から人生論まで、幅広い分野での講演活動は延べ数800回以上とのことでした。

 今回の合宿セミナーでの講演テーマは、人生は90年時代として「趣味と人生~ 人生にリセットボタンはない~」で、趣味と共に歩む人生論を訴えていた。夕食後は、ショートタイムでマジックの小道具のご紹介演技もあった。

 年齢を感じさせない張りのあるなめらかなお声とメリハリのある語り口調で、さすがベスト講演者と納得です。参加者から講演者への賞賛の声をお聞きする度に、主催者としては今までの気苦労も忘れて共に喜びを分かち合いました。                                

                                   続く

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2011年8月23日 (火)

常盤幼稚園同窓会に出演

 土曜日の交流センター道徳に続いて、月曜日はマジック・ボランティアとして名古屋市立常葉幼稚園の第2回同窓会に招かれました。昨年の第1回同窓会に出演した縁でした。

 女性のMさんと2人で行きました。常盤幼稚園は、あおなみ線の小本駅のすぐ近くなので今年はあおなみ線を利用しました。

 昨年はとても暑い日でしたが、今年はやや温度が低いので助かりました。13時半過ぎから始まりました。幼稚園の先生も3名招待されていました。常盤小学校に進学した児童が35名ぐらいと10数名のお母さんたちが参加しました。

 メーンイベントは、マジックショーでした。

 まず、私から演じました。演目は、クラブで習った「新聞を切り抜いてカードの札を当てる」ものとか、「紐とリング」「好きな果物当て」とかも含めて、この前道徳でやったものとほぼ同じ物でした。低学年の子どもたちは大変元気です。その子達に語りかけながら演じました。お手伝いの要るマジックには希望者を募って成るべく同じ子にならないように気をつけてやりました。

 10種類ほど用意をしていったのですが、30分ぐらいかかりました。最後の2つは省こうと思ってみんなに聞いたら、やってというので最後までやりました。バラエティに富んでいましたが、やはり同じ人が30分もやるのは子どもには長いと反省をしました。

 私の次にやったMさんは、宝塚の男役を思わせる白の燕尾服で華麗な演技をしました。花を主題にしたマジックを披露し、最後は大きな花を出してアッと言わせていました。時間は短かったのですがひきつけるマジックでした。

 記念写真を撮ってから、子どもたちにマジックを教えることになっていましたが、ほとんどの子どもは遊びに散ってしまい、5,6人の子が残りました。その子たちに面白い紙を切るマジックを教えました。

 また、用意していった掌の上で曲がる紙を見せて、欲しい子にあげました。とても喜んでいました。

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2011年8月21日 (日)

高齢者一人暮らしの集いに出演

 20日に、名古屋華マジカルグループから交流センター道徳の高齢者一人暮らしの集いに出演しました。暑い時なので、食事会はしないということででしたが、余興としてオカリナグループと共に招かれたのです。

 オカリナグループは、高年鯱城学園の終了者で構成されていました。この日は8人ほどが演奏に来ていました。

 プログラムは3部に分かれていて、最初に交通安全指導員のお母さんたちの交通安全の話がありました。会場には地区を担当する指導員が制服を着て6人来ていました。

 その後に、オカリナの合奏がありました。童謡や荒城の月など馴染み深い曲を演奏していました。全員合唱としてオカリナの伴奏で、虫の声、里の秋、故郷を歌いました。最後にグループのテーマミュージックだというエーデルワイスを演奏しました。

 オカリナの演奏を生で聴くのは初めてという人もいました。誰でも親しめるきれいな合奏でした。

 オカリナの演奏の後、I さんとSさんが紹介され舞台に立ちました。会場は教室二つ分ぐらいの広さでちょっとしたステージがありました。

  まず、Sさんが演じました。ロープと紙に書いたロープの絵のコラボから始めました。観客は、意外な展開に驚いていました。

 五本のロープ、薔薇カード、シルクハットとウサギ、新聞を切り抜いてカードを予言などいつのまにか結構時間が過ぎていました。心配になって、「もうここらでやめましょうか?」と聞いたら、「心配しないで続けてやって下さい。」と言ってもらえました。それで最後まで演じました。

 交通指導員さんから3名のお手伝いを頼んでロープとリングをやった時、一人の人には首にロープを掛けて貰いました。別の指導員さんが、「何か言い残すことは無い?」と言ったら、彼女は「交通安全を守ってください。」と答えたので大うけでした。Sさんは、「最後まで職務を全うしていますね。」とフォローしていました。

 締めくくりは、Iさんのお得意のシルクと花を使ったマジックでした。Iさんは、レパートリーをふやして、ワインの入ったグラスを出すマジックも演じて驚かせていました。

 器から大きなバネ毬と長いシルクを華麗に出したフィナーレでは大喝采が起こりました。Iさんの演目はステージ用で練れたものなので流れがよく、とても優雅でした。また、BGMに韓流の歌を取り入れたのが女性の観客には大好評でした。

 この会に来ていた交通指導員の一人がSさんが43年ほど前に道徳小にいた時の教え子であることがわかり、二人とも再会を喜ぶというハプニングがありました。

 

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2011年8月15日 (月)

残暑お見舞い申し上げます

 残暑お見舞い申し上げます。連日猛暑ですがいかがお過ごしでいらっしゃいますか。いろいろと対策を工夫していらっしゃると思いますが、熱中症にはご用心ください。

 暦の上では秋ですが、連日のうだるような暑さの中残暑耐えがたく、風鈴の音が恋しい秋風の訪れを待ち望むこの頃です。

我が家の植木鉢や庭木への水やりは、一日朝夕の二回蚊に刺されながらの悪戦苦闘を続けています。それでも夕方にはしおれてしまって、水やりを待っている鉢植えの草花です。

 狭い庭ながらも、日よけ対策に朝顔やゴーヤを植えたりぶどうを植えたり、少しばかり果樹も植えて楽しんでいます。

 植樹して5年目で、先日初めて真っ赤なつるつるお肌のネクタリンを一個収穫しました。桃の種で小ぶりであるが桃のような産毛がありません。桃の小玉ぐらいのネクタリンに袋かけをしての収穫でした。ようやく夫と二人で一個を半分ずつ分けてて食べました。ほんのり甘酸っぱい香りで、酸味もほど良く美味しかったです。暑い名古屋の小さな庭でも実りました。

さて、8月末はゲストをお招きして合宿の計画もあります。体調を整え健康管理に充分ご注意くださいね。そして、参加者の皆様の良き交流が一層深まることを期待しています。

     MIZUHO

 

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2011年8月11日 (木)

勉強しなかった戦中・戦後の子ども時代

 NHKの朝の連続テレビドラマ「おひさま」は、なかなか面白いので楽しみに見ています。作者の岡田恵和さんの脚本のつくり方がよいのだと思います。

 陽子先生は素敵な先生なのに校長から退職を打診されて結局教師を辞めることになりました。あのようなことが許されていたのかどうか、今なら不可能でしょう。

 陽子先生は、子どもたちを理解させる授業ができなくて悩んでいます。私は、丁度陽子先生が担任している子どもたちと同じ年頃に小学校にいました。戦後の混乱で担任の先生が変わったり、クラス替えがあったり、落ち着かないことでした。

 運動場はサツマイモ畑になっていました。そこで獲れたサツマイモがどうなったか誰も知りません。ただ、5年生の時に、仲のよかった前田君という級友が事故で亡くなったとき、クラスを代表して先生と葬式に行きましたが、遠いところだったので先生がサツマイモを2個くれました。弁当にしなさいということだったのです。サツマイモは学校の倉庫に蓄えてありました。

 終戦後は、復員してきた先生が何人かいました。4年生のとき終戦だったのですが、復員してきた若い先生に担任がかわりました。

 復員してきた先生の中に「鉄拳」とあだ名される若い教師がいまいした。あるとき掃除の時間に騒いでいたらその先生が来て、「廊下に並べ!」と怒鳴りました。私たち10名ほどが並びました。鉄拳が飛んでくると覚悟していましたら、注意だけですみほっとしました。その先生は私の父の教え子だったのです。私がいたので殴るのをやめたのだと思います。

 戦後まもなくはそんなありさまでした。

 陽子先生の学校は、戦時中も戦後も男女共学ですが、私たちは卒業するまで男女別学でした。

 陽子先生の受け持つ子どもたちは、昔の子どもの雰囲気をとてもよく伝えていて感心しています。私たちも粗末な服装でしたし、顔や手は黒っぽく汚れていて、青洟を出している子どももたくさんいました。

 男子はみな丸坊主でした。履物lは藁草履でした。卒業写真を見るとその様子がよくわかります。

 勉強は何をやったのか全く覚えていません。戦後最初は教科書に墨を塗ったことや新聞紙のような大きな紙に印刷された新しい教科書をもらって、家で糸でとじたことを覚えています。でも、その新聞のような教科書を使った記憶はありません。

 5年生か6年生の頃から「夏の生活」が作られて夏休みの宿題となりましたが、それをほとんどやらずに提出した覚えがあります。やらずに出したのは問題ができなかったからです。

 特に算数はひどいものでした。通分とか約分というのが全く理解できませんでした。算数の計算や文章問題は苦手でした。今なら落ちこぼれだったのだと思います。

 宿題をやらなくても先生は何にも言いませんでした。ただ、国語は何の苦労もしませんでした。漢字など数回書けば覚えられました。それは小学校一年の頃から家で取っていた朝日新聞を読んでいたからだと思います。

 5年生の時だったと思うのですが、あるとき先生の手伝いで図書室に入ったことがありました。そこで丹奈トンネルを作った話を書いた本があったので借りて読んだのが未だに忘れられません。本に飢えていたのですね。でも、何故か図書館は封鎖されたままでした。多分戦争中の本がたくさんあったからだろうと今になって思います。

 

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2011年8月 4日 (木)

増え続けるウオーカー(健康のために歩き続ける人)

  毎朝ウオーキングをしています。テレビでも、新聞でもラジオでも雑誌でもあらゆるところで歩くことが一番よい運動だと言われています。ウオーキングの本も相変わらず次々に出版されています。

 また、成人健康検査でも歩くことが推奨されています。歩くと、生活習慣病の予防になり、中性脂肪の増加を防ぎ、高脂血症や高血圧の改善をし、心臓病や糖尿病などにもよいと医者が進めています。また、脳を活性化するともいわれます。

 そのせいかどうか、私が歩く山崎川の両岸は、朝早くから歩く人で一杯です。以前は、夏でも朝4時過ぎから歩く人は余りいなかったのですが、最近では結構歩いています。

 5時ごろになると、その数が増え、7時ごろまで続きます。私の場合、朝起きたら歩くことにしていますので、その日によって起床時刻が違い、早く家を出るときもあれば遅く出るときもあります。

 それでどの時間にどんな人が歩いているのかを知ることができます。最近は、50 代の男性や高齢の男女で山崎川べりを歩く人が増えてきました。

 多分山崎川を歩く人の中で私が最古参だと思っています。なぜなら、古い顔見知りの人がほとんどいないからです。

 一度保健所かどこかで調査をしてくれるとよいが・・・・と思っています。誰が何時頃から歩き始めたかとか、その目的とか、歩くことによって健康が変わったかどうかなどです。

 厚生労働省や保健所などは歩くことを勧めるだけでなく、その実態や効果を実証的に調べるべきだと思います。きっと興味深いデータが得られるのではないでしょうか。

 

      ―H.S―

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