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2011年10月

2011年10月27日 (木)

東京アマチュアマジッシャンズクラブ(TAMC)発表会レポート

 10月23日(日),東京アマチュア・マジシャンズクラブ(TAMC)の発表会が虎ノ門 ニッショーホールでありました。約5~6年ぐらい前からご縁がありまして、TAMCの発表会のご案内をいただき参加しているが、毎年750席は全て埋まって満席であった

 TAMCと言えばマジック界の草分け的存在であり、会員数も男性のみ100名を数えます。そのメンバーの中には、実業界のトップクラスの方々やブラウン管にも登場されるような方々も名を連ねていらっしゃいます。

 8月末の名古屋華マジカルグループ合宿セミナーでは、講師として坂本会長をお招きを致しました。ベスト講演者に名を連ねておられるだけに、その内容には大きな反響があり満足しています。

 プログラムの内容もバラエテイに富んでいて、他のクラブ発表会では見られないような創意と工夫が随所にありました。

 トップの「トリオdeマジック」は毎年ダンスのステップも軽やかに3人でマジックご披露です。本格的にダンス指導者のレッスンを受けておられるとか、大変な念の入れようです。

 特に坂本圭史会長の「ユメの拡大」は、かつてTAMCから輩出された著名なマジッシャン達の歴史をご紹介しながら、腹話術を取り入れた物品拡大術への演出が面白かった。このプログラムには、「鈴木元協力」と名古屋華グループ講師の名前も記されていました。

 また、都築前会長の和のマジックは、日舞師匠の奥様やお嬢様との共演も華やかに、舞台上の笛や太鼓、三味線等の鳴りものによる演技には、会場からたくさんの拍手がおくられました。

 藤山晃太郎さんによる演技指導があったそうで、80代とは思えぬその演技力にに感動しました。ヤマト運輸前会長でもいらっしゃるが、舞台では{屋号ヤマト屋}として出演しておられる。

 司会者は毎年会員が担当しておられますが、その声も名調子で、間合いの良さ、歯切れの良さではいつもながら「プロ顔負け」抜群でした。

 プログラム最後のマジック劇「アリとキリギリス」では、あるテレビ局の番組でナレーターをしておられたSさん。テレビから流れ出てくるような聞き覚えのある声に、思わず目を閉じて雰囲気に浸っていた。

 終了後は、打ち上げパーテイにお誘いをいただきまして、ブラック島田さんや名古屋華グループ5月の公開講座ゲストクロッキーさんのパフォーマンスを楽しみました。

 大勢の会員のみなさまと名刺交換をしました。来年の発表会5月13日には是非行きたいので連絡をするように等、有意義なマジック交流ができました。

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2011年10月25日 (火)

オリエント エクスプレス[急行)の旅-⑦

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 9月13日、 今日はオリエント急行にてハンガリーのブタペスト発、オーストリアのウイーン着の予定であった。ブタペストでは専用駅舎の中では、4人の楽団によるハンガリー舞曲が演奏された。

 列車に乗車してサロンカーで昼食を摂った。ウィーンに到着してから日本語ガイドとによる市内観光。以前にも訪問したことがあるが、建築物はアールヌーボ建築様式を取り入れたデザインで、町全体が博物館のようであり、大好きな憧れの町である。

 王宮広場では2人乗りの馬車の長い列が待っていた。馬車による市内見物後、ハープ演奏を聞きながらのテイータイムだった。その後はショッピングタイム。

 今夜はオリエント急行最後の夜だ。サロンカーでは夕食時に、シエフや各マネージャーが次々と旅の労いに訪れて別れを惜しむサイン会の様だった。

 9月14日、オリエント急行は、最終地イタリアのベニス到着。徒歩でアメリカ人ご夫妻やベルギー人ご夫妻達とブラーノ島を観光した。

 昼食のレストランで、突然のご紹介とご指名があった。「皆様、日本のマジッシャン、ミセス・オオゾネをご紹介いたします。マジックショーをお願いしましよう。」

 引き下がるわけにはいかない。先日パーテイ会場で教えたベルギー人とアメリカ人にも小道具をプレゼントしてあったので、3人による即席マジックショーとなった。マジックがとりもつ縁が、世界中から集まったオリエント客に披露できたのだ。なんという名誉なことであろう。忘れられない旅の良き思い出となった。

 「オリエント エスプレス夢の旅」もあっという間に過ぎて、お別れの時がやって来た。全員と別れを惜しみながら解散した。皆は水上タクシーで各ホテルへと散って行った。夢の様な旅の世界はもう終わったのだ。

 娘と2人でリアルト橋とサンマルコ広場を散歩してた。全日程の最後はベニスの夜であった。胃袋も慣れない洋食に疲れて、夕食は1人分をオーダーして2人で分け合って食べた。

 翌15日(木)朝6時起床、水上タクシーでベニスの飛行場へ。フランクフルト経由で無事名古屋に9月16日8:45着となった。

 オリエント急行の旅の連載7話迄、ご愛読ありがとうございました。拙い文章で恐縮ながら、名古屋華グループのの会員たちの勧めもあり、旅日記を書いてみました。お付き合い有難うございました。

                                 みずほ

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2011年10月24日 (月)

オリエント エクスプレス(急行)の旅-⑥-

 12日朝、ルームサービスの朝食の後で車内ブテイックに行った。オリエント急行に関する土産物の販売をしており、乗車記念にオリエント急行の歴史本を購入した。

 ブタペスト10;02分着。下車後、ホームではマーチングバンド音楽隊の出迎えがあった。日本語ガイドと共に少しの時間市内観光した後、ドナウ川のランチクルーズだった。

 ベルギーの心臓外科医ご夫妻と会話を楽しんだ。ご主人が「結婚40年の記念にどんなプレゼントがいいか」と尋ねたら、奥様が「オリエント急行の旅が長年の夢だったの」と云われたので、結婚40周年記念旅行であるという

 話を聞くと、オリエント急行に乗車前のホテルが「ペラ・パレスホテル」で私たちと同ホテルだった。その上、アガサ・クリステイのオリエント急行殺人事件の小説を読んで、いつか乗ってみたいと思っていたオリエント急行の夢が実現したというのも共通していた。それを知ってお互い共に喜んだ

今晩はオリエント急行の旅最後のホテル泊だ。日本の浮世絵講師からメールがあった。「皆さんにマジックを観てもらいましたか、友人はたくさんできましたか。」しかし、いまだにテーブルマジックは苦手意識が強くて、マジックの話も一切していなかった。今晩のパーテイでは勇気を出そうと決心をする。

 ホテルチエックイン後、歴史的な建造物、ハンガリー文化アカデミーへと移動した。普段はクローズされているが、今日は特別に解放されたとの説明があった。自分の一生の旅の中では、2度とありえない経験を思い出として刻み続けた。

 さて、ウェルカムドリンクに続き、テーブルにはお互いに気の合う者同士が誘い合い着席した。ベルギー人のご夫妻、アメリカ人のご夫妻が両隣、オーストラリア人のご夫妻と私たち日本人の8人でした。

  宴もたけなわ、アルコールも入り、お互いに身の上話が弾んだころ、ステージマジッシャンであることを話した。「何かやって見せて!」まず公開講座のレクチャーだったリングと鎖のマジックを披露した。その後,両隣の人たちに教えてあげた。ふたりとも最初は失敗したが上手にできた。アルコールも入り調子もうなぎ昇り、持って行った小道具を其々にプレゼントした。

 次々のマジックに拍手を受けたり、「私にも教えて!」と言われたりして、大はしゃぎだった。マジック交流が実現できた!万歳。内心はようやく約束が果たせたことに安堵していた。言葉の壁があったのに、なんと素晴らしいマジック外交であろう。この時ばかりはマジックができることに感謝。

 

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2011年10月21日 (金)

オリエント エクスプレス(急行]の旅-⑤

 9月11日(日)、現地日本語ガイドとブカレスト北駅へ。これからオリエント急行で標高800mのシナイア駅へ。特別専用入り口ではホームでコーラス隊が見送りのセレモニーがあった。白のランの花のプレゼントをいただいた。

 シナイア駅からは観光地で道路が混雑しているので、パトカー先導で一般車進入禁止のエリアに入っていく。ルーマニアが王制だったころの「カルロ1世・離宮ペレス城」一帯は王の狩猟の場として使われたそうだ。

 ランチは当時の宮殿で、楽隊と4つの民族舞踊団の舞踊を見ながらの食事であった。その後ペレス城の内部や、広大な庭園、狩猟場を見た。

 17;35分シナイア駅かれブタペストへ向かい今夜は車中泊だ。現地の日本語ガイドに別れる時、いただいたランの花2人分をお礼に差し上げた。

 夜はサロンカーで食事だった。豪華な食事であっても胃腸の調子が良くない。食事は残念ながら殆ど残してしまった。デザートは桃のグルリ焼きにイチゴのシャーベットで、これは美味しい!

 食事の際、その都度シエフが「お口に合いますか」と回ってこられる。進んでいない食事を見て、「マダム、お口にあわなかったですか。」と尋ねられて恐縮。「美味しいけれども少食で」と苦しい言い訳をする。

 車内ではケニアのご夫婦、アメリカ人のご夫婦達と親しく会話した。ケニアのご夫婦は、黒人だが大変上品で優しい感じであった。多分、経済的な成功者であろう。ルイビトンの靴や鞄、金縁の眼鏡にブランドの洋服、身にまとっているものはすべてブランドでした。

 「娘がロンドン、息子はアメリカに在住。オリエント旅行の後で、ロンドンの娘のところにいくのよ。」サロンカーではなぜか人気者。通る人々が立止まって彼らに挨拶をしていくのであった。

                                                                     続き

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2011年10月19日 (水)

オリエント エクスプレス(急行]の旅-④

 9月10日(土)。昨夜は、ディナータイムの食事中にスチュワートがベットメーキングしてくれたので、個室に戻ってからは着替えて眠りに就いた。

 朝食はルームサービスの予定で起床した後、スチュワートがベットをたたんで朝食サービスとなった。車窓から広がる景色は見渡す限りのひまわり畑と、沿線には野生のイチジクの低木が連なっていた。

 今日は昼食後、1;30にブカレストに下車。このとき乗車の日本人は私たち二人だけ。世界各国からの参加者は43組85人であることが分かった。アジアからの参加は私たちだけと分かった。中にはアフリカのケニアからのご夫婦がスイートルームを利用していた。娘とアメリカの男子学生が若者で目立ったが、他はほとんどが年金生活者であった。

 特別に現地の日本語ガイドが、私たち二人のためにベンツで迎えてくれた。他の英語圏の参加者にはバス2台が用意されていたので、「あなたたちラッキーね」と羨ましがられた。私のためにと日本語通訳を娘が頼んだ結果、旅行中の観光地では日本語ガイドが手配されていた。

 オリエント社のオフィスや代理店は、日本国内にはなかったので、娘はインターネットで、シンガポールの代理店に申し込みをした。手続きはすべて英語による説明書と手続きで、アジア系の参加者が少ないことも理解できる。

 ホテルに入る前に、ガイドはルーマニアの革命の拠点となった国民の広場に案内した。

 当時のチャウシェスク大統領の独裁政治に国民が一斉ほう起した際、国民の怒りの事態を収拾しようと大統領が最後の演説を試みた場所だった。しかし事態は収拾どころか、演説をやめて屋上のヘリコプターで緊急逃亡をした現場であった。その後の生々しい処刑の様は、脳裏に焼き付いており、独裁者の終末の哀れを改めて痛感した。

 今晩の予定では ヒルトンホテルにチエックインの後、国立美術館(元宮殿)鏡の間で夕食会であった。ヒルトンを後に国立美術館へと案内があった。

 館内の建築様式、内装、調度品、高い天井画、照明など、豪華絢爛、これがかっての宮殿なのだと改めて感動した。鏡の間は通常はクローズされており、国賓の接待の時だけに使用されているとのこと。お伴とは云え、場違いのところへ来たものだと思った。

 先ず、パーテイ会場に入室前にウエルカムドリンクの際、生花のコサージュを各人の胸につけてくれた。パーテイ会場の各テーブルには、8人の椅子が用意されており、自由席となっていた。両隣はアメリカ人のご夫妻、オーストラリア人のご夫妻、他ベルギー人ご夫妻でした。

  生バンド演奏でオペラ歌手のアリアが披露され、パーテイ会場の雰囲気満点。娘はテーブルの各国のみなさんと和やかに食事と会話を楽しんでいた。

 そろそろ日本食が恋しい私。片言なら話せるのに会話に入れない私!娘が通訳してはしてくれるが、思うような交流ができない!名古屋華グループの皆さんと会話するような調子が出ない。やはり、英会話ができない自分がうらめしい。夕食会も終わりホテルに帰りほっと一息。                 

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2011年10月17日 (月)

オリエント エクスプレス[急行)の旅-③

 9月9日(土)オリエント急行出発駅シルケジ駅に着いたら、たくさんの旅支度の人々がいた。オリエント専用の駅舎内には、関係者が受付をしていた。それぞれの乗客とオリエント急行クルーにも、ラッピングした真っ赤なバラの花のプレゼントがあった。

 ホームでは賑やかに音楽隊の演奏が鳴り響いて出発式(セレモニー)の準備がなされていた。一般の乗降客も、年一回のオリエント急行のスタートに暖かい拍手で見送っていた。

 ホームではオリエント乗務員(オリエント急行クルー)は、一列に整列して乗客を歓迎をしてくれた。真っ赤なじゅうたんが長いホームに敷かれて音楽隊の音楽をバックにその上を乗客が歩き、決められた自分の号車(H)に乗り16;10出発。

  想像を越える豪華な旅のスタートであった。列車そのものがアートと言われているキャビン(個室)で、昼はソファーとサロンテーブルに、夜は寝台車となるのであった。

 洗面所はあったが、トイレは車両毎に共用だった。広い車窓からは、鉄道マニアのカメラマンたちがこちらにレンズを向けて撮影していた。線路沿いのあちらこちらでは、家族連れがこちらに向かって手を振ってくれたので振り返す。

 アフタヌーンテイーやケーキを持って、H車両のサービス係のスチュワートのデービットがやってきた。なかなかの好印象の青年でした。この列車はバーカー、ブテイック、サロンカー(食堂車3両)、キッチンカー(3両)、キャビン(個室車8両)とスタッフカーの編成となっていると説明があった。「いつでも御用の際は呼んでください」と言った。夕食は7時半と9時半の交代で、私たちは9時半を選択した。

 インターネットで調べたら、ディナーは伝統的に夜会服着用とあった。個室横の通路を行き交う人たちは、イブニングドレスにタキシードの装いだった。私たちの時間となり、それなりのスタイルで出かけた。サロンカーは華やかな雰囲気の中で、社交の場と化して夜の更けるのも忘れて酔いしれていた。オリエント急行はイスタンブールからブカレストに向かって走り続けていた。           -続き-

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2011年10月15日 (土)

オリエント エクスプレス[急行]の旅-②

  浮世絵の講師Sさんは、映画などでオリエント急行の概要を詳細に知っていた。「今回を逃がしては二度といけないかもしれないし、浮世絵の完成度も高くなっているので行ってはどうか」と助言して下さった。「ただし、オリエント車中の社交の場でマジックを皆さんに披露してくること」と注釈がついた。

 オリエントの旅の日程はもう間近に迫っていたので、急遽母娘2人旅行の申し込みと準備を始めた。彼女は連続休暇を控えてのためか、休日でもハードな仕事内容となっていたようで、前日夜までの仕事でようやく滑り込みセーフの状態で当日を迎えた。

 9月5日(月)朝のセントレアのカウンター前では団体客などで長蛇の列だったが、並びながら、携帯の操作でンターネットでチエックインOK。若者はメールの打ち込み操作が早い!大勢の並ぶ列から離れて手荷物を預けた。

 機内持ち込みの手荷物検査の時だった。職員から口ぐちに何か暗号のような合図の発声があった。大きな発声と共に周囲の職員が手を高く上げた制止のポーズで全員固まっていた。異様な雰囲気、何があったのか!

 日本人と思われるヤンキーのようないでたちの若者が何か大声で叫んでいたが,空港警察の5~6人が来て嫌がる彼を連れ去っていった。その後、検査職員全員が「解除」と口ぐちに発声して通常の勤務状態にもどった。テロリストと疑われたのか、危険物所持か麻薬類所持の疑いなのか全員が固まった瞬間で、自分には初めての経験であった。

 5日(月)フランクフルトとミュンヘン経由、トルコのイスタンブールまでのフライトの旅だ。名古屋発:10:30イスタンブール22:55着。時差は-6時間、長いフライトも終わった。

 「オリエント急行殺人事件」等を執筆したアガサ・クイステイが常宿として愛したペラ・パレスホテルを予約していたのだ。ホテルはレトロな感じで、とてもよい雰囲気であった。

 6日(火)エキゾチックな国トルコのイスタンブール旧市街迄タクシーで行き、(路面電車)に乗ってグランドバザールまで行く。名産のお菓子のロクムや、、セサミミル(ごますり器)や日本より意外に安かったカラスミを土産に買った。送迎付きのベリーダンスショーも観て、さすが本場のダンスと感動した。

 7日(水)は早朝5時半起きで、世界遺産のカッパドキアへ飛行機で日帰り観光した。大規模火山岩大地には自然現象とは思えない見渡す限りの奇岩風景に驚いた。

 洞窟レストランで昼食し、地下5F、3,000人が生活したと思われる地下都市を観光した。当時キリスト教が迫害を避けるために、石灰岩を人界戦術手彫り穴状の隠れ家住居跡であった。

 8日(木)、ブルーモスクや地下宮殿観光だ。混雑を予想して早朝から出かけたが、数人のトルコ人がやたらと日本語で話しかけて案内をしてくれるという。混雑を避けてモスクに入るルートなど親切に教えてくれたが、案内は丁重にお断りした。最後に彼らの土産物店に寄って買い物したら安くするとの話であった。

  トプカプ宮殿のハーレムの世界も観光地となっており、大勢の観光客で混みみ合っていた。興味深くみたが、日本の大奥にも似たような男女の構図の別世界であった。

 9日(金)、この日は待ちに待ったオリエント急行に午後4:10分乗車、車中泊の予定だ。高額で宿泊をあきらめた宮殿ホテルチュランパレスに行き昼食に寿司を食べた。覚悟していたが意外に安くて美味しくて舌ずつみ、日本円にして一人前900円ぐらいでだった。

 今回の土産の買い物は、対ドル対ユーロの円高を改めて痛感?うれしい限りだ。これからタクシーでオリエント急行にに乗車するためにシルケジ駅へと向かう。

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2011年10月13日 (木)

オリエント エクスプレス(急行)の旅ー①

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 8月中旬、娘から突然「オリエント急行のキャンセルが出たので、3人で一緒に行かないか」と誘いを受けた。テレビでは見たことがあるが、自分には無縁のこと、はるか彼方の夢物語と自分に置き換えて考えたこともなかった。

  即座にことわった。[私は行けないから、お父さんと一緒に行ってらっしゃい」と断った。以前にも父親とエジプト旅行に行ったこともあった。一緒に行きたいが私には同意できない事情があった。旅行の日程は9月5日から9月16日の予定であり、9月22日から25日にかけてワールドマジックショー出演の予定が控えていたからである。

  ワールドマジックショーは、海外のゲストやプロマジッシャンと一緒の舞台出演であった。毎日の稽古は勿論のこと、もし海外で不慮の事故でもあったら主催者に大変な迷惑がかかる。ここは自重すべきと判断したからだ。昨年も出演の依頼を受けながら、上腕骨折により辞退せざるを得なかった苦い経験があったのだ。

 彼女(娘)と海外旅行に度々一緒に行く友人たちは、暦の上では休暇の取りにくい時期でもある。滅多にない勤続年数による特別休暇があり未消化となっている。職場の仕事上も激務の後の一段落だったので、今しかないと飛びついたようであった。しかし、主人も6月にロンドンの友人のところに訪問したばかりであった。年のせいか「長時間のフライトはもうこりごり」とむべもなく断っていたが、実は内心かかる費用を心配していたのかしら?

 イギリスの女流推理作家「アガサ クリステイのオリエント急行殺人事件」の本は映画化されたり世界的にベストセラーとして有名である。彼女は、学生時代にこの本を読み大変感化されていたようだ。オリエント急行の旅は、ヨーロッパでは大変な人気で、来年、再来年とすでに予約済みで満杯であるそうだ。サラリーマンは3年先の予約はできないが、キャンセルが出た今がチャンスであり、一諸にとの誘いだった。

 「オリエント エクスプレス(急行)の旅とは?」インターネットで調べてみた。東西ヨーロッパとアジアを走る豪華国際寝台列車として、当時は王侯貴族や外交官等が使用したそうだ。現在は広く開放されて、世界中のあちらこちらから乗りに来る。

 当時のレトロな電車が、一泊二日の日程で走る旅もヨーロッパではあり、日本人のツアー客に人気が高いそうだ。上記5泊6日のコースは年一回だけの運行で乗客数も限られており、ヨーロッパでは異常ともいえる人気ぶりなのだそうだ。

 今回の計画の旅は、トルコのイスタンブールで4泊後、オリエント急行の旅がスタートしてブカレスト、ルーマニア、ハンガリー、オーストリアと周り、イタリアのベニスが終点で5泊6日となっていた。全旅程は11泊12日の予定なっていた。

 イタリアのベニスで一泊、帰国時の機内一泊の予定と説明を受けた。毛頭行く気はなかったが、その後、浮世絵の指導者である先生に何気なくした会話から急転、自分の気持ちも又とないチャンスだと思えるように変化していった。                     

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2011年10月10日 (月)

デイサービス心音(ここね)でマジックのボランティア

 10月5日から1週間続く、デイサービス心音(ココネ)のお祭りウイークで、何かやってくれるボランディアを探していてインターネットで名古屋華マジカルグループのことを知って出演の依頼がありました。お祭り週間に3回出演します。

 10月5日からのお祭りのかわ切りに私と女性のMさんが行きました。

 デイサービス心音は植田ピアゴの交差点を北に曲がった分かりやすい所にありました。中に入ると、そこが集会室で四人掛けのテーブルが置いてあり利用者さんが座っていました。左手に一面が鏡の運動室がありそこに椅子が並んでいました。

 Mさんはすでに来て準備をしていました。私もすぐに準備に取り掛かりました。演技時間は30分でも1時間でもよい、幅をとってあるというので時間を気にせずにやれると思いました。

 2時5分前に私たちが紹介され、少しお話をして観客の様子を掴みました。話すことにとても反応がよくて、これならやりやすいとホッとしました。

 まず、私から演技をしました。「年金生活で金がないのでMさんのように立派な服が買えないから帽子を被ってやります。」と言って真っ赤なトルコ帽を被って笑いを取りました。「よく似合うよ。」と大向こうから声が罹りました。

 最初にやるはずの先日クラブで作った毛花の移動をすっかり忘れて、2番目の五色のロープから始めてしまいました。

 次にお札の印刷器をやりました。男の先生から千円をお借りして、それをまず白紙に変えるところからやりました。先生がいろいろ反応してくださるので、会場の笑いを取ることができました。

 ここで忘れていた毛花をやりました。次に、アレッをやり不思議がられました。バナナがリンゴに変わるカードもとても不思議がられました。演じると声や態度で反応があるのでますますやる気になりました。

 カッププロダクション、シルクピットインと続きました。箱のロープでは、利用者さん2人に手伝ってもらいロープを引いてもらいました。箱に通したロープが見事にはずれたので驚いていました。

 次は先生と利用者さん2人に出てもらい、ロープとリングを使って、先生の首にロープを掛け、先生の首を締めると言って、利用者さんに思い切り引いてもらいました。先生はまだクビになりたくないと駄洒落を言って笑わせてくれました。ロープはすっとはずれたのでとても不思議そうでした。

 このあと、クラブで習った紐とリングをやりました。リングから紐がはずれるのでとても不思議そうでした。最後に被っていたトルコ帽から卵を出しました。

 トリは、宝塚ジェンヌのような扮装をしたMさんが、十八番のマジックを8分ぐらい華麗に演じました。6枚シルクは結んだはずのシルクが解けているので不思議そうでした。

 お得意の薔薇カードでは色がつくと不思議だと驚いていました。新しく手に入れたCDの色変わりのマジックも好評でした。

 毛花をいくつか出しその度に大きな声が上がっていました。最後に大きな花を出して喝采を浴びました。

 デイサービス心音の利用者さんは、とても元気でしっかりと見てくださったので演じていて楽しかったです。

 おいしい抹茶を頂いたとき、隣のテーブルにいた高齢の女性たちが今日見たマジックの話をしていました。「手先が器用でないとできんわな。」とか「どうなっとるんか不思議だけどタネはわからん。」などと言っていました。それで私は持っていたテーブルマジックをいろいろ見せてあげました。何でもない身近なものでやる手品をとても不思議がってくれました。

              ―H.S―

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2011年10月 6日 (木)

飯田市で開かれたマジック・コンベンションに参加して

9月の下旬に、長野県の飯田市で開催されたマジックコンベションに参加しました。

前夜祭はホテルで幸条スガヤさんやジャグリングの天平さんのすばらしい演技を3mぐらいの至近距離で見せていただき感激。その上、マジックのレクチャーもありました。おいしい食事やお酒で贅沢で楽しいひと時でした。

翌日は本番。

飯田マジッククラブの方や昼からのコンテストに出られる方たちと昼食をいただきながら、いろいろな技を見せていただき良い勉強になりました。

中でも飯田の、今年米寿と言われた方がコンテストに舞台に上がられたときはまるで別人?袴と裃の着物姿でさっそうと元気に演技されたのには驚きました。

お年も然ることながらメガネの両サイドにピカピカ回るミラーボールをつけ、帽子にも花の仕掛けありで、素晴らしいエンターテナーぶりで、存分に観客を楽しませてくれました。

また、コンテストでご夫婦と1歳から4歳位の子供さんも加わり家族全員でマジックされたのは、アットホームな雰囲気でほのぼのさせて頂きました。

いくつになっても、どんな方法でもマジックは、出来ると思いました。

プロの部で初めてみずほさんの浮世絵のマジック見せていただきましたが、今まで見たことない舞台でした。舞台いっぱいの浮世絵や提灯や屏風、それに武家姿の人形。

 しっとりとした和装姿で、つぎからつぎえと流れてゆくマジックの世界。あっけにと取られている間にあっと言う間に終わってしまい、もう一度見てみたくなりました。

マジックの世界は幅広く1歳から無限に楽しめることが今回の飯田マジックコンベションで痛感しました。私もその世界の一端に首を突っ込んでいることは、私のこれからの人生の大きな楽しみです。

                 ―Y.O.―

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2011年10月 4日 (火)

アルプスコンベンション参加出演レポート ②

 9月25日(日)は、飯田市中央公民館でアルプスコンベンションの日です。朝から飯田マジックの方々が、それぞれ準備に忙しそうでした

 ホールでは、午前中はコンテストショー、ゲストショーのリハーサルとなっていました。一般の参加者は別室で、レクチャータイムとデーラーショーです。午後1時30分からコンテスト、4時からはゲストショーでした。

 コンテスト参加者の中には、毎年の顔ぶれの常連が数組いました。その中に各地コンベンションでよく見かける2人の子供づれの家族出演もありました。もう一組は、80代と思われる意気軒昂で男性ながら耳飾りのようなミラクルボールが印象的な方でした。毎年同コンベンション出演にて、今年もこの2組が特別賞の受賞者でした。

 コンテストでは新潟県の高校生が,ずば抜けたマジックセンスとルックスの良さが際立って優勝となりました。2位は松本市から参加の女性で、日本舞踊を習っておられるそうで、身のこなしがとてもきれいでした。3位はいませんでした。

 さて、ゲストショーの時間には、浮世絵の応援に名古屋華グループの会員の皆さんや、40年ぶり再会の友人達が大勢駆けつけてくださいました。「浮世絵と言えば大曽根みずほ」 「大曽根みずほと言えば浮世絵」と言われるように、このオリジナル作品を演技できることを誇りに思っています。

 浮世絵絵巻の引き手は、慣れたOさんと名古屋華グループのSさんにお願いしました。浮世絵絵巻の引きのタイミングが難しく、演者としては左右の広がりのバランスが出演の度に気になるところでしたが、今回は提灯からの紙吹雪や浮世絵絵巻の広がりに満足した瞬間でした。

 一連のマジックショーも無事終了です。名古屋から参加された名古屋華マジカルグループの皆様、40年ぶりの友人達や各地元の関係者の皆様のおかげで有意義な4日間でした。

  浮世絵の作者でいらっしゃる指導者の鈴木元先生に感謝!そして世界でただ一つの作品「オンリーワンの作品」に乾杯!初診の気持ちを気持ちを忘れず、精進を重ねて更にレベルアップを目指して頑張ります。応援して下さった皆様、誠に有難うございました。

                             みずほ

 

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2011年10月 2日 (日)

アルプスコンベンション参加出演レポート ①

 ワールド・マジックショー・イン長野終了後は、長野マジッククラブの会長ご夫妻や出演者一同の夕食会があった。

 初めてジャグラーの天平さんと話を交わした。20代と思われる若さ溢れる溌剌とした演技に感動した後であった。

 以前に名古屋華グループの会員のOさんが、ジヤグリングクラブで天平さんと所属クラブが一緒であった事を聞いていたので、話もし易かった。

 ホテルも一緒だった。瑞穂区にお住まいと聞き、女性会館の名古屋華グループの例会にお出かけ下さいとお誘いした。機会をみてとの返事を頂いた。あの素晴らしいショーをもう一度見たい!

 翌日は、夕方のデナーショーに間に合うように4時ごろ車で飯田入り、高速バスで来られた名古屋華グループ8名と合流した。

 デナーショーはマイク大田さん、ナポレオンズのボナさん、幸条菅谷さん、天平さんのショー等があった。マジックショップも出ており会員たちが買い物をしていた。

 宿泊は温泉ホテルとなっており、温泉らしい肌に滑らかな良いお湯だった。料理は中華料理で,次々と運ばれてきて食べきれない程の量で、地元のリンゴの生搾りジュースも振る舞われた。

 デナーショーの終わりには、ゲストや地元関係者と一緒に記念写真に収まった。翌日のコンベンションのこともあり早めの解散をして温泉の入浴を楽しんだ。

                              みずほ

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