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2011年10月19日 (水)

オリエント エクスプレス(急行]の旅-④

 9月10日(土)。昨夜は、ディナータイムの食事中にスチュワートがベットメーキングしてくれたので、個室に戻ってからは着替えて眠りに就いた。

 朝食はルームサービスの予定で起床した後、スチュワートがベットをたたんで朝食サービスとなった。車窓から広がる景色は見渡す限りのひまわり畑と、沿線には野生のイチジクの低木が連なっていた。

 今日は昼食後、1;30にブカレストに下車。このとき乗車の日本人は私たち二人だけ。世界各国からの参加者は43組85人であることが分かった。アジアからの参加は私たちだけと分かった。中にはアフリカのケニアからのご夫婦がスイートルームを利用していた。娘とアメリカの男子学生が若者で目立ったが、他はほとんどが年金生活者であった。

 特別に現地の日本語ガイドが、私たち二人のためにベンツで迎えてくれた。他の英語圏の参加者にはバス2台が用意されていたので、「あなたたちラッキーね」と羨ましがられた。私のためにと日本語通訳を娘が頼んだ結果、旅行中の観光地では日本語ガイドが手配されていた。

 オリエント社のオフィスや代理店は、日本国内にはなかったので、娘はインターネットで、シンガポールの代理店に申し込みをした。手続きはすべて英語による説明書と手続きで、アジア系の参加者が少ないことも理解できる。

 ホテルに入る前に、ガイドはルーマニアの革命の拠点となった国民の広場に案内した。

 当時のチャウシェスク大統領の独裁政治に国民が一斉ほう起した際、国民の怒りの事態を収拾しようと大統領が最後の演説を試みた場所だった。しかし事態は収拾どころか、演説をやめて屋上のヘリコプターで緊急逃亡をした現場であった。その後の生々しい処刑の様は、脳裏に焼き付いており、独裁者の終末の哀れを改めて痛感した。

 今晩の予定では ヒルトンホテルにチエックインの後、国立美術館(元宮殿)鏡の間で夕食会であった。ヒルトンを後に国立美術館へと案内があった。

 館内の建築様式、内装、調度品、高い天井画、照明など、豪華絢爛、これがかっての宮殿なのだと改めて感動した。鏡の間は通常はクローズされており、国賓の接待の時だけに使用されているとのこと。お伴とは云え、場違いのところへ来たものだと思った。

 先ず、パーテイ会場に入室前にウエルカムドリンクの際、生花のコサージュを各人の胸につけてくれた。パーテイ会場の各テーブルには、8人の椅子が用意されており、自由席となっていた。両隣はアメリカ人のご夫妻、オーストラリア人のご夫妻、他ベルギー人ご夫妻でした。

  生バンド演奏でオペラ歌手のアリアが披露され、パーテイ会場の雰囲気満点。娘はテーブルの各国のみなさんと和やかに食事と会話を楽しんでいた。

 そろそろ日本食が恋しい私。片言なら話せるのに会話に入れない私!娘が通訳してはしてくれるが、思うような交流ができない!名古屋華グループの皆さんと会話するような調子が出ない。やはり、英会話ができない自分がうらめしい。夕食会も終わりホテルに帰りほっと一息。                 

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コメント

素晴らしい体験をされましたですね。英語の会話は私も中学時代の古い英語でしたら話せますが・・・娘さんの通訳でも衣装をたくさん持参されて大変ですが、外国の色々な方たちとの交流は貴女にも娘さんにも一生残る素晴らしい思い出となりますね。病気・怪我することもなくお帰りになって本当に良かった!

投稿: fumiko | 2011年10月20日 (木) 09時43分

  オリエント急行の乗客の大半はヨーロッパ人であることは、言葉の障壁も関わってるのかもしれませんね。言葉が通じなくても、不思議なマジックにたいする感動は万国共通でした。オリエント急行の旅でマジック外交ができたことは、生涯忘れられぬ貴重な経験となりました。

投稿: 和やかステージ | 2011年10月20日 (木) 21時20分

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