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2011年12月11日 (日)

猫の認識・思考・判断はどうなっているのだろう?

 近所に白い野良猫が5匹ほどいる。彼らのうち3匹がだんだんと馴れて来た。一番馴れたのは尻尾が短いオス猫である。その連れ合いかどうかは不明だが、尾が太くて長くて立派な雌猫も大分馴れて来た。もう一匹メス猫の子供がいるがそれもかなり馴れて来た。

 彼らと接触しているうちに、いったい猫はどのようにして認識・思考・判断をしているのだろうという疑問が湧いてきた。

 例えば、尻尾の短い白猫は、私が朝ウオーキングに出かけて帰って来ると、入り口の壁の柱の上にシーサーのように座っていて、遠くからでも私の姿を見つけるとそこから降りて迎えに来る。この行為は毎日というわけではないがかなりの頻度である。

 この行為をするとき、猫は、脳の中でなんらかの思考をし、認識をし、判断をしているはずである。

 まず、第一に、猫は私をどう認識しているかは分からないが、他の人と区別をしていることは確かである。私の妻が出て行くと逃げて行くからである。私は、最初の頃ウオーキングの帽子や服装を変えないほうがよいと思っていたが、それは大丈夫であることが分かってきた。帽子がなくても、服を変えても間違いなく「私」を識別してくれるからだ。

 そのとき猫の脳の中では「ああ、このおっさんはいつもキビナゴをくれる人だな。この人は大丈夫だ。信用してよい。」と考えをめぐらしOKの判断をしていると思うのだ。

 シーサーのように柱の上に寝そべって待つときも、「ああ、おっさんはどこかへ歩いて行った。でも、そのうちきっと帰って来るはずだ。だから、ここで待っていよう。」と、思考をして、待つという判断をしていると考えられる。

 遠くに私の姿を見つけると、まず姿から私を認識し(猫は結構視力がいいと分かった)「あ、あそこに来るのはおっさんだな。確かにそうだ。よし、ここから降りて迎えに行ってやろう。」などと考えて、判断を下しているはずだ。

 私が近寄って行くと、体をすりよせてくる。「おっさんにこうして甘えておけばきっとキビナゴをくれるはずだ。」と思ってかどうかは定かではないが、多分そうだろうと推察できる。もっとも、最近はキビナゴではなくて、安い煮干にしたのだが。

 猫が認識・思考・判断をするとき、猫が何らかの言語を使っていると私は思うのだ。言語を使っていないとすればイメージだけでの認識・思考・判断ということになるが、それでは正確にはできないだろうと考える。

 猫の行為を見ていると、かなり正確で緻密な行為をしている。それは言語なしには行えないのではないかと思うのだ。

 「認識・思考・判断は言語によってなされる」というのが私の仮説である。それは人間だけの特有のものではないのだ。

 蛇足だが、人間の言語をコミュニケーションの手段と考える人が多いようだが、私は言語は認識・思考・判断に不可欠であると考えている。                                             

                                                            H.S

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