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2012年3月

2012年3月30日 (金)

東日本復興応援ツアーに参加

東日本復興応援ツアーに行ってきました。

 

  3月19日から3日間、いわて花巻空港から八戸に入り、翌日、災害でずたずたになり一部復興した三陸鉄道に乗りました。

 沿線から被害地を見て、車掌さんの説明聞きながら宮古駅まで乗りました。車掌さんの住んでいる田老は、ほとんど津波で流され整地されていました。

   宮古駅から浄土ヶ浜の一隻だけ残った遊覧船で海から視察しました。この船はお客をおろしてまだエンジンがかかっていたので、沖に逃げることができて奇跡的に残った話など聞きました。

宮古から釜石、陸前高田市など震災を体験した災害ガイドさんに説明を聞きました。

 

  ほとんど整地されていましたが、瓦礫の山がうずたかくあっちこっちに積まれていました。ビルなどはまだ震災のままも数多く残っていました。3,4階まで津波の傷跡が生々しく残っていました。

 中学校の生徒が小学生の手を引き、途中で逃げている幼稚園の子をおぶり、なお避難途中の車いすの介護者の椅子を押し避難した話や、情報が何もなく、10日目にやっと自衛隊のバスで仮設テント風呂まで行った時、はじめて何もなっかったように建っている家が多くあるのに驚き、何故自分たちだけが、こんな目に・・・と、それから落ち込んだ話、海岸や河岸にほとんど防波堤が築かれてあったので防波堤に遮られいつもは海を見ていなかった、防波堤を過信していたなどいろいろな体験談をききました。

 津波でさらわれた場所はほとんど解体され、すでに整地されていました。

津波が来なかったところは、地震にも被害がなかったように日常の生活になっていました。りっぱな家も数多く、その差におどろき被災者の無念さに心が打たれました。

 

  少しでも復興の応援にといろいろ買い物して帰りました。

こんな悲惨な災害が二度と私たちの地に来ないこと願うばかりです。  

 

                                                              Y.O. 

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2012年3月28日 (水)

かれい倶楽部マジックショー案内

  名古屋市内にあるかれい倶楽部のマジックショーが、4月24日(火曜日)に開かれます。開催場所は、緑文化小劇場(電話番号:052-879-6006)です。

 交通は、地下鉄桜通線「徳重」駅下車、2番出口を出たところです。なお、市バスは「緑文化小劇場」下車です。

 開演時間は、開場が13時、開演が13時30分。(終了は15時30分の予定)

 マジックの他に、特別参加として、ゆいゆいエイサーの沖縄舞踊があります。

  かれい倶楽部は、名古屋市高年大学鯱城学園OBで構成されているそうです。

 入場料は無料ですので、ぜひ多くの方に素晴らしいマジックを楽しんでいただけたらと思います。

  名古屋華マジカルグループ事務局

 

 

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2012年3月24日 (土)

第2回名古屋華マジカルグループ発表会

Photo

※画面をクリックすると拡大します。

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2012年3月19日 (月)

横浜マジカルグループ第49回発表会レポート

  3月17日(土)横浜マジカルグループ(YMG)の第49回発表会のご案内をいただいていたので行ってきた。数年来の交流の中で、大先輩格のマジカルグループに学ぶところが多々あり、参加できたことに感謝している。

 毎年恒例の発表会ですが、今年のテーマは[おもちゃ箱]だった。 今年も盛りだくさんのプログラムの中から素晴らしい作品の数々があり、発表会にかけるYMGの皆さんの心意気を感じた。漏れ聞くところによると、リハーサルの回数は相当数繰り返し行われたとか、さすがそれだけの評価に値するものがあった。

 円熟味増した演技のロープや、四つ玉、そして、ユニークなアイデア一杯の創作的なマジック等々、我がグループへの土産話と今後の参考にさせていただきたい事等、舞台上はたくさんの感動があった。

 我が名古屋華マジカルグループは設立以来まだ4年数か月、5月13日には第2回発表会だ。しかしながら、まだまだ試行錯誤の連続で、このような発表会の照明、音響、舞台進行、プログラム上のあれこれ全ての面に於いて学ぶところが大きかった。

 前日からの生憎の雨降りであったが、久しぶりにマジックの大先輩達にお会いしてアドバイスも多くいただいた。打ち上げパーテイ-では著名なマジッシャンたちも招かれ、会員さんたちの労をねぎらいたくさんの拍手が送っておられた。

                                 M.O

 

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2012年3月13日 (火)

縁を辿る―名古屋華マジカルグループにつながる縁―

 「縁」という言葉がある。日本人にはとても馴染の深い言葉だ。合縁奇縁とか無縁仏とか縁者とか縁日や縁起などの熟語もあり、もともとは仏教から出た言葉だ。

 タイやスリランカなどの仏教国にもきっとあるのだろうが、知らない。中国語には縁分というのがある。

  私たちは無縁の人というのはないはずで、生まれること自体が縁の始まりで有縁なのだ。生まれて以後死ぬまでまず無縁はあり得ない。仮に縁者が1人もいなくなって孤独死をしたとしても、最後は誰かが関わってくる。それも縁なのだ。

  人生で最高の縁は恋人や結婚相手に恵まれることであろう。結婚式ではよく「縁の紐で結ばれて・・・それでも何らかの理由で縁を切る人もたくさんいて、離婚率が上がっているという。

  人生はすべからく縁が生じたり切れたりの連続だと思う。神経細胞がシナプスによってネットワークを作っていくイメージだろうか。

  私はいくつかの趣味を持っているが、それぞれに縁のつながりがある。その一つマジックを通して考えてみる。

  今私が所属する名古屋華マジカルグループに加入するには、一つの大きな縁があった。それは同じグループのMさんとの出会いだ。中川区70周年記念の第九に応募して、最初の日に、練習会場の中川区役所を探して歩いているときに、たまたまMさんが話しかけて来たのがきっかけだ。

 しかし、それだけではMさんと知り合うことはない。私がいた昭和男爵コーラスにSさんという人がいて、その人とMさんが古い知り合いであったのだ。その関係で3人で話すようになり、たまたまMさんもSさんも私も帰りの地下鉄が同じなので一緒に帰ることもあったのだ。

  中川第九には昭和男爵コーラスの指揮者が関係していて、第九を強く勧めてくれたので第九に参加することになったのだ。だからコーラスに入っていなければ、また指揮者の紹介がなければ、Mさんと知り合うことはなかったことになる。

  コーラスに入ったのは、昭和生涯学習センターで「50歳からの男声合唱隊」という主催講座があったからだ。それがなければ、そして自分が講座を受けてみようという気にならなければ、Mさんとは無縁であったのだ。

  合唱講座に入る気になったのは、カラオケをやり始めて少しでも声が出るようにしたいと思ったからだ。私はもともとカラオケが大嫌いであったのだが、それを無理やり誘ってくれたOさんがいたのだ。Oさんとの縁は、彼が我が昭和英語会話クラブに入ってきたからできた。

  このように縁のつながりの元を辿っていくと、あちらこちらにつながっていることが分かる。そのどの一つが欠けていても、後の縁にはつながらないのだ。

  ところで、元に戻して、Mさんと知り合って地下鉄で一緒に帰るとき、Mさんは名古屋華マジカルグループのことを話し、私に入らないかと言った。名古屋華マジカルグループは結成後まだ3か月の頃であった。私は退職後マジックをやめていたが、覗くだけ覗いてみようと例会に出かけた。よさそうなクラブなのでその場で入ることに決めたのだ。

  ところで、もし私にマジックの経験がなければ、そのクラブに入っていなかったであろう。マジックを習い始めたのは、43歳ごろからで、それもひょんな縁からであった。ある日近所に住む手品で有名なSさんと文房具屋で会い、マジックを習いたかったらいつでも来てと誘われたのがきっかけである。

  このようにマジックという趣味をとってみても、様々な縁があり人とのつながりがあることが分かる。マジッククラブに入ったことで多くの新しい人と知り合ったし、ボランティアを通して1度だけの縁ではあるが、多くの人と触れ合うことができた。

  私たちは「縁」によって生きているのだということができる。この地球に生まれたのも、日本人として生まれたのも、全ては縁である。毎日縁につながっており、新しい縁につながり、時には縁が切れる。まるで神経細胞である。

 東日本大震災後「絆」という語がいろいろな場面で使われているが、「絆」は強い縁のつながりを象徴している。この「縁」を大事にして生きていきたいものである。「悪縁」だけは御免蒙って。

                   ―H.S―

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2012年3月11日 (日)

何んとか鳴らないものか?カラスの仕業!

我が家のゴミもついにカラスにやられた。

 昨日のゴミの日、8時半過ぎに突然電話のベルが鳴った。誰だろうと思い番号を見ると、市内番号だったので受話器を取った。聞き覚えのない女性の声だった。何かの勧誘かと思ったら、お向かいの奥さんであった。「ゴミを出しに出たらお宅のゴミがカラスに荒らされていますよ。」と言った。お礼を言いながら驚いて受話器を下した。

 外は生憎の雨が降り出していた。仕方がないので玄関の戸を開けると、ゴミが道路に散乱しているのが見えた。妻が大きな袋を出してくれたので火挟みと箒を持って出た。

 カラスは二つある袋のうち一つを突き破ってゴミをあさってあった。それらを一つ一つ火挟みで挟んで袋に入れたが、ゴミは空き箱や紙類が殆どで食べ物らしものはなかった。いったい何のために?と思った。

 近くの電柱でカラスが「カア」と鳴いた。まるで嘲笑っているように聞こえた。癪だがどうしようもない。雨に濡れながらゴミを袋に入れた。

  1年ぐらい前から、この近辺でカラスが急増した。それは町内のある人が毎朝道路に餌をばらまくのでカラスやハトやスズメが食べに来るのであった。半年ぐらい餌まきが続いたが、いつのまにか見なくなったと思っていた。

 ハトやスズメは来なくなったが、カラスは居座ってしまった。冬でも朝4時ごろからカラスが大きな声でカア、カア、と喚いている。

 先日は、近所の独身者のアパートのゴミがさばかれて道路中に散乱していた。そういうこともあって、近所でもネットを備え付けてゴミに被せる人が増えてきた。

 我が家では、これまでネコにやられたことはあったが、カラスにやられたことはなかった。それがとうとうやられてしまったのである。

 いったいカラスは食べ物をあさるのか面白半分にはるのかどっちだろうと思う。近所にはおよそ20羽近くのカラスがいて、カアカアとうるさく飛び回っている。どこでどうやって餌を手に入れているのかは謎である。

  こういうカラスの害は、どこに言えばよいのであろう?保健所だろうか。何とかしてほしいものだ。

                                        ―H.S―

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2012年3月 9日 (金)

記憶力との戦いーカードマジックへの挑戦―

 40過ぎてマジックを教えてもらったことは以前にも書いたことがある。師匠の清水先生は、道具マジックが得意な人だったので、道具を使ったマジックばかりを習った。師匠と同じマジッククラブ、NAMCには、大矢先生というクローズアップの専門家がいて、当然カードマジックもお手の物であったが、師匠は「カードは見るだけ」を貫いた。

  NATCでは、道具の清水、カードの大矢と呼ばれ、双璧であったそうだ。大矢先生も近所に住んでおられたのだが、どういう訳か直接知り合う機会がなかった。

  その大矢先生と数年前に知り合うこととなった。近所のマジック研究会で一緒になったのが縁であった。当然、カードマジックである。それで私もカードマジックを覚えることになった。

 大矢先生のカードは、テクニックを使うものではなく、高齢者でもできる手順のあるマジックであった。その上共に楽しむという演じ方を強調しておられる。

  それまでカードマジックは難しいと思っていたのだが、易しいマジックがたくさんあることに気付いた。それで2010年の8月に思い切ってカードマジックに挑戦する決心をした。その辺についてはその頃のblogで書いた記憶がある。

  その時にカードマジックを覚えるのは、記憶力との戦いだと思った。それで衰えた記憶力で覚えるには、時々確かめるための復習が大事だと考えた。

  最初からたくさん覚えるのは無理だから、まず3つか4つを目標にした。大矢先生に教えてもらった「どれかなどれかな」とか、「1から10のカードで何枚移動したかを当てる」ものなどであった。

  それらができるようになると、目標を7つか8つにした。次は、10種類に設定した。我が名古屋華マジカルグループでも、カードマジシャンのHさんが、「ジェニミツイン」や「4枚のA」や「天海ムーブ」などを教えてくれたし、S先生も「水と油」などをレクチャーしてくれた。

  その他に図書館の本などで易しいカードマジックを探した。「端のカードを覚えて」とか「4枚のAの出現」「選んだカードの出現」などがある。

  そのようにして15種類になり、20種類になり・・・と増えて行った。しかし、数が増えると復習が大変である。ときどき復習を延ばしていると忘れてしまうのだ。それと数が増えると手順が混同することがあり、それが失敗する原因になったこともある。

  種類が増えてくると、13枚のカードだけでやれるマジックがあることが分かった。それで13枚でやれるカードマジックを集めた。最初は、8つであったが、それが10になり、13になりと増えて行った。16種まで行ってもういいと思っていたら、最近20種類まで来た。

  それを「百円トランプ13枚で誰でもやれる20のカードマジック」にまとめた。その中には、プロの「くるわさん」に教えてもらったものもある。また、自分で改案したものも2つある。1つは中国の古いマジック「蘇賦牧羊」を元にしたものだ。

  テクニックの不要なマジックだが、人に見せると不思議がってくれる。テクニックのマジックは素晴らしいと思うが、プロでもテクニックのないカードマジックをやっている。プロがやると、上手に決まっているという先入観で見るから、簡単なマジックでも凄いと思ってしまうのだ。

  今では50種類余りに増えたが、その一方で手順を忘れるのもあるから、キープするのが難しい。復習しかないのだ。

                  ―H.S―

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2012年3月 6日 (火)

今の世相を映す隣家の取り壊し

 先日から隣家の取り壊しが始まった。この家は戦後に建てられたのだが、持ち主が大工だったので良い材料としっかりした建て方でできていた。その後住んでいた子ども夫婦もよく手入れをし、外壁を替えたり内装を替えたりしていた。また、庭木も毎年剪定を頼んでいた。

 夫婦には娘が1人いたが、東京方面に嫁いで行った。その後奥さんが早く亡くなり、主人が1人で暮らしていたが、病気で亡くなった。

  残された娘は時々戻ってきていたが、昨年末に処分することを決断した。隣家なので仲介業者が買わないかと打診してきたが、到底買う余裕がない。そのうちに売れたことがわかった。

 そして数日前から解体が始まった。驚いたのは、家財道具を運び出す様子がなかったことだ。ある日突然解体業者が来たのである。

  業者は庭木を取り払い、立派な庭石も産業廃棄物の車で捨てに行った。機械でやるので半日もかからなかった。

 庭には布団などが山と積まれた。家具も一部が放り出された。ピアノなどの大きな家具は中古業者が処分するのかも知れない。

 要するに、全てを解体業者に任せたようだ。手入れをした庭木もまだ使える家具も布団なども全部ゴミとなってしまった。

 遠く離れている子どもにすれば、いちいち戻ってきて家具などを売る払うのも面倒であったのだろう。

 その話を東京にいる娘に話したら、「他人事じゃないよ。うちもそのうちそうなるんだよ。」と言った。まさしくその通りである。

 昨年から断・捨・離をしなくてはと思いながら、まだ手がついていない。我が家の財産は、ゼロから築き上げたものだが、他人にとってはゴミでしかないのだ。タンザニアのバッサ族は別としてもフィリピンなどなら欲しい人が一杯いるであろうに。

 

 ―H.S―

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2012年3月 5日 (月)

初めての総練習

 3月3日はひな祭りの日、名古屋華マジカルグループの例会でした。5月13日(日)に発表会を控えて、初めての総練習でした。会員によるカードマジックのご披露の後で、其々準備して稽古に入った。

 衣装や音楽の準備でき会員はお持ちいただき、先ずは出演順に稽古となったがもう少し時間があるとよかったですね。後半の出演者はあわただしい一幕でしたが、次回の稽古としましょう。

 前回同様にだんだん間近にになってからは、けがされたり体調不良などで残念ながら出演の辞退者のお申し出があります。

 そういえば刈谷マジックの発表会のご挨拶でも、事情により直前の辞退者が続いてとのご紹介を思い出した。

 まだまだ2か月後とは言え、もうすぐあっと言う間にその時を迎えることとなるでしょう。準備万端で臨みたいと考えています。

 日頃稽古しておられる出し物を、晴れの舞台でお客様にご覧いただけますように、健康管理には十分なご配慮お願いいたします。

 

 

 

 

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2012年3月 2日 (金)

タンザニアのハッザ族の原始生活に驚く!!

 23日の夕食後テレビをつけたらNHKで「地球イチバン」という番組をやっていた。途中からだったが興味をひかれたので見た。

  最後の方でタンザニアのサバンナで生活をするハッザという種族のことだと分かった。何というタレントか知らないがわざわざ出かけて録画したものであった。

  驚いたのは、ハッザ族の生活ぶりである。彼らは今なお原始生活を守っているのだ。現代の衣服をまとっているが、生活スタイルは原始時代そのものなのだ。

  彼らは、サバンナを移動して生活しているので、住居は丈の長い草や灌木で高さ2m程度の△のものを作るだけだ。それは移動がしやすいからだと説明していた。彼らは男女別に生活しているらしく、女性の家は男性が作ってやるらしかった。

  家と言っても隙間だらけで、土間である。雨が降ったらどうするのだろうと思った。寝るのは土間だがそれで十分だと言っていた。

  すべての家財道具を見せてもらったら、現代の金属製の鍋と包丁と弓矢と全部で6種類ぐらいであった。

  生活を維持するには、食糧を手に入れることが大事であり、全てである。そのために男は狩猟をし、女は土を掘って芋のようなものを手に入れたり植物の実などを採集するのだ。バオパブの実などな良い食糧だ。まさしく原始時代そのものである。男たちが狩猟の獲物が取れない日が続くとしょんぼりする。そうしたときは女性の見つけた食糧が頼りである。

 ハッザでは食糧は平等に分けられる。蜂の巣から蜂蜜を取って分け合っていた。ヒヒを射止めたときもみんなで分け合っていた。いわば原始共産制なのだ。これまでの長い歴史の中で、富の偏りがなぜ起きなかったのかと思うに、多分、手に入る食糧が限られているから分け合って食べなければならないからであろう。

  もてる男は狩りがうまい人で、ルックスは第3だと言っていた。

  知りたかったのは、どうやって衣服や鍋を手に入れているのかということだ。彼らは獲物の何かと交換をするのであろうか。たまに自動車で白人観光客が見に来ることもあるようだし、今回のようにカメラなどが入ることもあるのだが、彼らはそういう現代のものには興味がないようで自分たちの生活の仕方が一番だと言っていた。

  私たちは、キャンプや山登りにでも行けば、かなり限られたもので生活をしなければならないが、ハッザ族とは比べようもない。何も持たないで狩猟・採集生活をしているのだ。

  日本人は、世界でも一番物に囲まれて生活をしていると言われる。その数は確か3万点だと言われていたように思う。そして断・捨・離せよと言っている。

  良寛さんは、五合庵に住み、木の鉢と杖と墨染めの衣と布団と椀と紙・墨・筆程度の所持品で托鉢で生活をしたそうだが、ハッザの人々には及ばない。

  この地球上に今でも原始生活を守っている種族がいるということは驚異だが、彼らはそれで幸せなのだ。彼らから見ると、GDPだとか核だとか原子力だとか欲望を拡大させている現代人、戦争をやめられない現代人は愚かな存在に見えるのではないかと思った。   ―H.S―

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