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2012年4月16日 (月)

大好きな越路吹雪の名曲「愛の讃歌」誕生秘話を見て

越路吹雪が歌った「愛の讃歌」は私の大好きな歌である。元の歌は有名なシャンソン歌手のエディット・ピアフが歌ったもので、歌詞の内容も歌い方も激しいものである。

 ピアフを描いた映画が上映されたときは見に行った。それで愛の讃歌の誕生のいきさつを知ることができた。

  しかし、ピアフの名曲をどうして越路吹雪が歌うことになったのかは知らなかった。4月4日のNHK歴史ヒストリアを見て初めてそれが分かった。

  昭和26年に、越路吹雪は宝塚歌劇団のトップスターを自ら辞めて独立した歌手の道を歩き始めた。そのときマネージャーを務めたのは同じ歌劇団の文芸部にいた親友の岩谷時子であった。

  東京に出て活躍を始めて1年たった昭和27年9月に、日劇の大舞台でオオトリを務めることになった。それはオオトリの大歌手が急に出られなくなったので急きょ越路吹雪が起用されたのであった。

  越路が歌う曲はエディット・ピアフの「愛の讃歌」であったが、フランス語なので感情をこめて歌う自信がなかった。そこで岩谷が日本語の詩を書くことになった。岩谷は元歌の内容の説明を受けてその激しさに驚いた。

  歌詞を書く時間は1日しかなかったが、岩谷は徹夜をして書き上げた。それがあそ「愛の讃歌」である。歌詞は一筋に恋人を思う気持ちを日本語でロマンチックに表現されていた。

  ”あなたの燃える手で 私を抱きしめて ただ二人だけで生きていたいの・・・・”

  越路はその歌詞を見て「恋を知らない貴女だからこんなすごい歌詞を書けたのね」と言って笑いだしたという。

  オオトリで感情豊かに歌われた愛の讃歌を聞いて聴衆はみな魅了されたという。確かに越路吹雪の歌い方は、エディット・ピアフとは全く違う。しっとりと心に訴える唱法だ。

  ピアフの方は失った自分の大事な恋人を思い激しく切なく歌っている。それはそれでよい。

  30歳半ばの頃、シャンソンのコンサートでアマチュアの男性歌手が愛の讃歌を歌うのを聴いた。そのとき自分も歌えたらいいのに・・・と羨ましく思った。

  それから何十年か過ぎて、カラオケを始めたとき、越路吹雪の歌が同じキーで歌えることが分かった。それで「愛の讃歌」や「サントワ・マミー」や「忘れないで」などを覚えて歌うようになり、私の持ち歌になった。

  歴史秘話によると、越路吹雪は当時の宝塚歌劇団の中で一番広い音域を持っていたという。私は、女性にしては低い声で私にも歌えるので意外であった。

  岩谷時子は、愛の讃歌の作詞がきっかけで大作詞家の道を進んだ。しかし、生涯マネージャーを務めた。ただ大親友からは報酬は貰わなかったのだそうだ。

                            ―H.S―

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