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2013年9月21日 (土)

オペラ「蝶々夫人」を観劇

現在名古屋市と岡崎市で開催中の「あいちトリエンナーレ2013」の一環としてプロデュースされたプッチーニの「蝶々夫人」を観た。

 16日はちょうど台風18号が来た日で心配していたが、午後からは雨が上がったのでよかった。

 第2日めの入場券はS席以外は完売されていたが、15時前でも空席が見られた。不思議に思っていたら、15時に開始の予定が台風の関係で10分遅らせるというアナウンスがあった。 

 私の席はC席で、4階の右寄り5列目であった。以前に5階席で見たときは舞台が真下にある感じであったが、4階もそれに近かった。

 「蝶々夫人」はイタリア語で演じられるので、舞台の両側に縦に日本語でセリフを表示するようになっていた。オペラグラスを持って行ったので読むことができた。

 幕が開くと、大きな障子が組み立てられ部屋のイメージが作られた。私は蝶々夫人を観るのは初めてなので分からないのだが、多分今回の演出の独自性であろうと思った。トリエンナーレの一環での上演なので、新奇な試みがなされたのであろう。

 第一幕は、ピンカートンと蝶々さんの結婚式の場面であった。蝶々さんは芸者をしているが、元々は武家の娘だと分かった。この結婚はどうも仕組まれたもののようであったが、蝶々さんはピンカートンを信じ込んでキリスト教に改宗してまで結婚をするのだ。途中街の人々が坊主を先頭に殴り込みに来るシーンもあった。

 異国のアメリカ人にすれば、日本の女性は非常に魅惑的なものであったと思われる。劇中でピンカートン話す言葉にそれが窺われた。蝶々さんには彼の愛を信じた結婚であった。

 第一幕で芸妓や舞妓が登場する華やかなシーンも組み込まれていて彩りを添えていた。

 夜を迎え「愛の二重奏」はアメリカ的な愛の表現と蝶々さんの心情が交錯して美しいメロディにのせられて歌われた。

 25分の休憩の後、第二幕が始まった。あの有名な「ある晴れた日に」のアリアが歌われた。ピンカートンはアメリカに帰ってしまい、3年も経っていた。蝶々さんは彼が戻ってくることを信じて船が港に入る度に確認に行くのであった。

 領事がピンカートンの手紙を持って来て、彼がアメリカで結婚したことを伝えようとしたのだがうまく話せなかった。「手紙のl二重唱」であると後で知った。この後結婚仲介人ゴローが連れてきた公爵ヤマドリが、ピンカートンを諦めて結婚要求を受けるようにと迫るが受け付けない。

 そしてついに彼が乗っているリンカーン号が港に入ったのだ。舞台一面に花びらを思わせるキラキラしたものが舞い落ちる。蝶々さんは女中に命じて庭のありたけの花を集めさせ、ピンカートンを迎える準備をする。彼が日本を発ってから生まれた子供は青い目で3歳になっていた。

 ピンカートンはアメリカ人の妻を連れてきたのだ。その妻は子どもを引き渡すように言う。

 なぜか芸妓と舞妓が再登場をする場面があり、これは結婚式を回想をしているのだと聞いたが、これも新しい試みのようである。

 ピンカートンを待つ長い夜の場面はオーケストラのメロディだけが流れて蝶々さんは立ったままである。5分ぐらい続いたであろうか。この演出も新しい試みかも知れない。

 結局子どもを引き渡すことにした蝶々夫人は自殺を決意する。「名誉を持って生きられぬ者は名誉を持って死ぬ」と歌う。武家の娘としての矜持かも知れない。短刀で胸を刺す。倒れるところへピンカートンが現れ呆然とィ立ち尽くす。そこで幕が降りるのだ。この終わり方はよかった。

 蝶々夫人役は安藤芙美子さん。蝶々夫人は長丁場の出ずっぱりなので大変だと思った。きれいな声で4階まで届いた。ピンカートン役はカルロ・バッリチェッリで声量がありまさにぴったりの感じであった。

 蝶々夫人のストーリーは単純で結婚詐欺のようなものだから最後の方まで理解に苦しんだが、最後に蝶々夫人が自殺をしピンカートンが立ちすくむところで終わったので納得が行った。ピンカートンの胸に死ぬまで刻み付けるからだ。

 このオペラを西洋人が演じるとどうなるのかと思った。日本的な立居振舞を表現できないのではないかと感じた。やはり日本人が演じるべきであろう。

                       H.S

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